夢で逢えたらーー空気階段第4回単独ライブ「anna」

「2回流れたんで!!!」

カーテンコールでそう念押しした二人の表情には、まだ目に情熱が宿ってた。

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2/14、空気階段第4回単独ライブ「anna」千秋楽。
このご時世により、この回のみ配信チケットも発売された。…と言ってしまえば、いまや「そうなのね」程度の反応だと思う。でも、先に言ったとおり2回流れたから、っていうのが効いてる、はず。

1度目に流れた分のチケットは2019年12月の先行で5回公演のうち1枚は取れていたけど、前回単独(ルミネ公演とサザンホール追加公演のみ)のチケット争奪戦の余波はあったみたい。

2020年になると、かたまりの入籍があったり、冠ラジオが独立した枠になり時間も変更したりと空気階段を取り巻く環境も変わりゆくなか、私は静かにわくわく感を高めていた。

はずだった…

2月に入ると講談師神田松之丞が伯山を襲名するということでそちらに目が向きまくっていて、とにかく興行は成功してくれ、何もケチがつかないでくれ…と祈るばかりで。その間に刻々と状況は変わってた。

とうとう、ライブ直前に延期が決定。
でも延期だし。まあ、夏には状況変わってるっしょ。

…2020、夏。無理!

そして、12月にようやく3度目の正直で2021年2月に公演決定。
もちろん、チケット先行に申し込んではみたけどあっさり落選。状況が状況なので早めに配信オンリーに切り替えた。と言いつつ、観たのは配信期限ぎりぎりの次の日曜日という有様。でも、結果体調万全、視聴環境万全の状態で観てよかった。スマホで寝っ転がりながら観るなんて考えられなかったから。

 

まず、キービジュアルからして、とりあえず毎年恒例単独やります!っていうよしもとでよくあるノリではなく、ひとつの作品なんだと突きつけられた気分。

オープニングはおなじみの「タンゴ」。
Vo.江戸アケミの頽廃的なあの声で一気にどこかへ引っ張り込まれる感覚。

オープニングはプロポーズのコント。場所は喫煙所。アンナ〜!もはや、こういうあっさりしたのもできるんだ、って意外に思うくらい、いつも濃い世界ばっかりだからとても新鮮。しかも、annaの中では一番自分にしっくりくる。私もめちゃめちゃ離婚したし。「ま、こういう人生もあるよね!」。
虚構と現実を受け入れる準備万端。

オープニングムービーとともに流れる曲はYMOの「TONG POO(東風)」。
頭が沸騰しそうな夜は、これとテクノポリスをひたすら交互に聴いてしまうくらいなので爆上がり。
赤いワンピースの二人が水に潜る感じもぴったり。

一個一個の選曲も、大事なエッセンス。

 

「27歳」♪酒と泪と男と女
早逝のアーティストは27歳で死んでる説。
からの、わかりやすく現実を虚構の淵からこねくり回してくれるコント。お前があのときの…!をこの切り口から見せてくれるのたまらない。
氷室1:布袋100とDEAD or ジョージが好き。

古沢太郎のヒット曲は「アンナ」。

 

「SD」♪ラ・カンパネラ
鈴木もぐらの演技力が惜しみなく楽しめるこのパターンも大好き。
ゆうえんちの刑事さんより眼力が強い。おじさんじゃない演技の時、もぐらさんのエグい生命力が手にとるようにわかる。

ツイスターゲームに執着する異常犯罪者。
"世界を破壊するのかAV出演するのかどっちかにしろ!!!"が、なんか多分そこで言うことじゃないんだけどそこでしか言えない感じがよかった。
…自分なら選べない。

あと、あの刑事さんはあいらつかさちゃんで抜いたのかな。

 

「メガトンパンチマンカフェ」♪ダンバインとぶ
伯山カレンの反省だ!で潜入してほしいタイプの野良コンセプトカフェ。

おなじみ関健や今回のデビルキック伯爵が受け入れられてる世の中って最高の理想郷なんじゃないのか。

余談だけど、去年フワッと踊り場の人気コーナーだった、「キタノ映画みたいな話」を思い出した。

ノスタルジー心くすぐられてめずらしく投稿したら採用されたのは、こっそり言っておく。

大好きなSummerに乗せて読んでもらったたいせつな思い出。

 

ミスターアイホープは全人類の道標。
表と裏、正義と悪、敵と味方、天国と地獄、戦争と平和
そういうのを超越した、争いのない世界なんだね。

 

「コインランドリー」♪夢想花

「♪忘れてしまいたいことが今の私には多すぎる」

「心のお洗濯をするんですね!」

「お前が言ってる不安とか怒りとか悲しみとかそういう汚れっつーのは人間がみんな抱えて生きてくもんなんじゃねーの?」

ほんとその通りでビリビリくる。
コインランドリーは人生の交差点。森淳一の「ランドリー」読みたくなる。
洗濯機が家にない生活は、人生で絶対に通っておくべき道だと思う。あそこは哲学する場所。

心のお洗濯をする人には出会いたくないけどね。あいつがいる世の中は理想郷じゃない、たぶん。

きれいな心、忘れないでね。
(さいきんまでずっと「ハートスランプ二人ぼっち」をヘビロテしてたのだけど、これ観てからずっと「夢想花」)

 

「銀次郎24」♪電気ビリビリ
「勃起力発電」「エレクトリカルオピンピン」って、オーケンみうらじゅんの描く童貞が妄想してそうな脳内世界観で、なんかすごく青くさくていい。曲も電気だし。

個室ビデオのシチュエーションで、VRゴーグルが出てきてパンツ下ろして…の展開からそうなるか〜!って、ひっくり返りそうになった。

よく考えたら、シコる動きは発電と関係ないのか。そこも童貞くさくていい。童貞文化好きだけど、絶対に味わえない感覚なのが歯がゆい。

 

「Q」♪天国と地獄
風邪の時に見る悪い夢、のやつだ。

あと、前後の流れから正直つなぎ的なコントだなと思ってしまったけど、これがちゃんと後から効いてくるすごさ。黒子もぐらが幕間キャラじゃなくなるすごさ。

余談も余談だけど筋肉少女帯に「捨て曲のマリア」って曲があって。
文字通りアルバムの中にある捨て曲的ポジションだけど、これがあるからアルバムが成立してるし、ないと成り立たないみたいなとこが同じだ、とか思ってたら、この曲が収録されてるアルバムが「蔦からまるQの惑星」で目ん玉飛び出ました。Q。それだけです。
でも、1曲目アウェーインザライフからラストのアデイインザライフまでの流れもannaと近くて、蔦Qと同じで、まるごと一生愛し抜ける作品だと確信。

 

「anna」♪スローバラード

「♪カーラジオからスローバラード」
イントロのピアノから泣く。もう泣くよ。

コントのことは横に置いておいてまず自分のこと。
この先、私このコントをどんな時に観たくなるんだろう…
別に好きな時に好きなだけ楽しめるのに、大事に大事にしまって時々ひとりでこっそり開けて見て、しあわせな気分になって、またクローゼットの奥にしまい込むみたいなコント。

ラジオが題材のコントなんて、この先ベテランに近づくにつれ絶対にできないと思う。

だから、今の旨味も灰汁もないまぜになってるみたいなこの感情をそっとしまい込みたい気持ちもある。

肝心のコントは、ここまできたら見てもらった方が伝わると思うけど。

いまさら羨ましがることすら違法だけど、鬱屈した学生時代にこうやって深夜の電波で繋がっている相手がそばにいるとわかってたらどんなに心強かっただろうかとハンカチ食いちぎりたくなった。「こんな近くにリスナーがいますかー!?」
同じラジオを聴いてる人が近くにいるっていう安心感は味わえそうで味わったことない。

(でも、溢れた気持ちをつぶやけば自分は知らなかった曲の情報をリプでもらったりするのも、みんなでannaを共有してるからだ。こんな田舎に出戻ってまでこんな幸せ味わっていいんか…)

「チャールズ宮城のこの時代この国に俺が生きてるからって勝手に勇気もらってんじゃないよラジオ」は、長野のローカルラジオでやってる「川村道夫の大自然まるかじり」くらい好きなタイトル。

 

あと、annaは多く語らずと思ってたけど、これだけは力説したい。
もぐらが先生、かたまり生徒の設定ならよく見るけど、「吉村作治から預かった」でもぐらがあのヒゲの生徒をそれ以外特に言及もなくやり切れちゃうのは、よく考えたらめちゃめちゃすごくないすか???それで乗り切ろうとできます??なんの違和感もなく見てたけど、よくよく考えたらあんなヒゲの学生がいるか!
学ラン着るために剃るのはまあナシだけど、だからって代替案が吉村作治なのが個人的にはたいへんにツボ。
さらによく考えたら、もぐらを学園コントの登場人物にするために定時制高校の設定にしたのも、時間遡って鳥肌立つ。
定時制の恋のネタおろしの瞬間に立ち会ったの、一生自慢する!!!)

そして、女の10年の成長をしっかり見せてくれるかたまり。
ルンバを教室で動かしたときのパッとはなやいだ表情は、お笑いの次元じゃなかった。笑えないレベルだよ、いい意味で。

この公演に限ったことじゃないけど、コントの世界で喜怒哀楽を描くのは当たり前にやってることなのに、空気階段はごく当たり前のように生老病死を描いてる。
ほんとうに、ほんとうにすごいな。
お笑いって、コントってすごい。

2回流れて、やりたいことやぶつけたいことが増えた結果、annaがこれだけ長いコントになって、全体3時間になるのも至極当然。空気階段って、二人とも、本当にラジオで生かされてきたんだな。

何もない家で森本毅郎スタンバイだけ聴いてたもぐら。
大学中退して、引きこもって爆笑問題カーボーイ聴いてたかたまり。

その二人が出会ってコンビ組んでコントで賞もらって踊り場という番組持って、それを私たちが聞いてネタ送ったり勝手に勇気もらったりして、そこからまたannaが生まれたのならほんの一端だけでも担えたような気がして、なんだかニヤニヤするし鼻息荒くなってる。

 

勇気ラジオ最終回で、チャールズ宮城はこの先もうこの時間に逢えなくても、リスナーに夢で逢おうと訴えかけた。
この後眠りについたら、夢で逢おうと。 「聴いてください、僕のベストソングです。銀杏BOYZ"夢で逢えたら"」


ギターのフィードバックの音が全てを切り離してくれる。

「♪ああ 夢で逢えたらいいな」
これからは、夢で逢えたらいいな、と思いながらしばらく聴けなくなってた踊り場を寝る前にまたクラウドで聴こう。

時間も内容もザ・人生過ぎて、ガチの苦境にいるときは度数が強過ぎて。

とかく、投稿だ採用だステッカーだMVPだ◯◯リスナーだ男だ女だ常連だリアタイだ何年聴いてるだその日のノリだ炎上だ神回だってなりがちな世界だから、しんどい時も多いんだよ。
正直、私はローカルラジオに何の気なしにメールしたり、パーソナリティとの電話でどうでもいい話で繋ぐくらいがいい。

でも、どれだけ救われてきたかって話でもある。

チャールズ宮城が最後の最後にかけてくれたみたいに深夜のラジオから流れてきた曲で生き延びられたり。
今日は送ってみるか〜、で採用されて小躍りしたり。

だから、空気階段や踊り場リスナーやこのコントを見た人、そして山崎くんや島田さん、チャールズ宮城と同じくらい、私もラジオが大好きなんだろうな。

きっと、私はヤマザキ春のパンスト祭りや水曜日よりの使者みたいなリスナーじゃなくて、最終回にギターケースを開けながら聴いてた古沢太郎や、洗濯機の中で聴いてたあいつの方なのかもしれない。

たぶんチャールズの照れ隠しであんな終わり方になってしまった勇気ラジオ。

最終回の後の、アナウンサーの単調な提供読みで一気に現実に引き戻される感じ。でも、TEIMPOCO。そのときのクスッとした表情のまま、夢の世界にいきたい。

 

エンドロールは、「日曜日よりの使者
夢で逢えたらからもうわんわん泣いてたけど、ここで追い討ち。

そうか。二人は日曜日よりの使者だったんだ。
東京赤坂・TBSラジオ、AM954、FM90.5 土曜27:30-28:00の使者。

いやいやいや、私が「適当なウソをついてその場を切り抜けて誰一人傷つけない日曜日よりの使者」であるとされてた男にどれだけ生かされてきたか。
恋愛も仕事も価値観も、すべての生きる原動力だったんだから。
15年前の私に、またもや伝えてあげたいね。すべらない話の不定期の放送と夜中にひたすら放送室の音源聴くのだけが楽しみだったんだからね。

こうしてすべての物事のトゲみたいなものが与える刺激が、また別のレセプターに引っかかってどこかしらで確実に繋がってれば生きていける。

きっと人生のどこかで交わる時がある。ていうか、夢で逢えたらいいし。

「♪たとえ世界中が土砂降りの雨だろうとゲラゲラ笑える日曜日よりの使者

うん、ゲラゲラ笑える。コロナ禍でも離婚しても生きていける。

 

ウソみたいな現実に振り回されてる私は、現実をこねくりまわすコントをする空気階段が大好き。
二人も、相当に現実こねくり回されてるのかもしれないけど。

やっぱり二人の人生がコントを作ってる。

波があればあったで、瑕にもなるけどそれこそ深みにもなるんだろうな。でも、ラジオありきでやりすぎるのはやめてね。煽り過ぎないでね。

空気階段は、過小評価も過大評価もされてないと思う。(なんだろう、伯山とかさらば青春の光とかはもっと正攻法で評価されて売れていいと思ってる)いいことなのか悪いことなのかはわからないけど。今は、あえてもがくことなくこのままでいい気もする。

来年の単独ライブもたのしみ。タイトルはなんだろう。
その前に、キングオブコントか。
日曜日よりの使者は手強いよね〜〜〜

 

ま、そんな人生もあるよね!

 

大団円――2/19神田松之丞改メ六代目神田伯山真打昇進襲名披露興行 新宿末広亭九日目

2020年、色々あった。

離婚が決まった

新型コロナで世界がおかしくなった

ほんのり死がよぎった

人がいない生活が心地よかった

東京がもうよくなった

離婚して実家に帰った

 

でも、情感込めて振り返る気にもならない。

「自分よりもっと辛い人が…」とかではないけど、普通に生きてて全国民の生活が等しく変化するタイミング滅多になんてないから。これがノーマルなら別にそれでいい。

純粋に、ひきこもり体質なのと、とにかくめんどくさいこと、距離感が近すぎるのが嫌いなんだけど、ある一定のライン越えたらこの方が生きやすいんじゃないかと思えてきた。

 

ライブも、全部が等しく中止になってしまったので、全部が等しく戻ってくる気がしてる。5月とかさめててキモかったな。

 

とはいえ、この時期はやはりソワソワする。何かしら書きとめたり、ベスト〇〇をあげて年を納めたりしたい気がしてくる。

細かいタネはたくさんメモしてあるけど、これだけはまとめておきたい。

 

令和2年2月中席、講談師神田松之丞が真打に昇進した。

そして松之丞から六代目伯山になった。

 

去年「問わず語りの松之丞」を聴き始め、運良くチケットが取れて講談も聴き、神田松之丞の虜になった。

2020年の披露目興行が待ち遠しくて仕方なかった。

と、同時に寄席にも行ったことはないし、とてつもない人数が押し寄せてくるだろうから、私なんかほんの少しもその熱気を感じられないのではないかと不安だった。

 

年が明け、次々とメディアにも登場し、披露目のゲストのラインナップも決まり、冗談だと思ってたYouTuberにもなり、華々しいパーティーの模様は全世界に発信された。

さらに、2/10の最後の独演会もよみうりほーるのさ天井に頭がつくかと思うくらい後ろの席だがチケットが取れて神田松之丞の見納めができた。

 

でも、披露目なんて絶対行けない。

無理無理。

寄席ファンと熱狂的ラジオリスナーで絶対埋まっちゃう。

諦めようと思っていた。

 

でも、伯山ティービィーで興行の様子が毎日配信されるともう我慢が効かなくなった。

お尻がもじょもじょ動くくらいうずうずしてた。

 

毎日毎日、Twitterで「末広亭」「伯山」で検索して、行列の具合を確認した。日にちごとの人の流れや周辺の様子、天気も細かく確認した。

爆笑問題ゲストの日は前日の寄席がしまったときにはもう並んでいたとか。

今日なら朝遅くても余裕あったのに…という日もあった。

そして、ようやく踏ん切りがついて9日目に足を運ぼうと決心した。ゲストは志らく師匠。

 

 

以下、前日から時系列でiPhoneでメモしたやつ。

 

2/18

13時

伯山ティービィー7日目を見る。

毎日見てるので毎日通ってる気分になる。

今日は、鯉八さん(注:この頃まだ2つ目だから)と小痴楽師匠がいて、成金感強め。

小痴楽師匠は口上の司会ということで緊張している。

親子合わせて「高校一年半」なんて言ってたけど、そんな冗談が高田先生とかいる楽屋ですぐ出てくるあたりクレバーだし愛される理由がよくわかる噺家さん。

 

前日の伯山ティービィーや情熱大陸を受けて器用にマクラやネタを変えていく噺家さんたちとてもかっこいい。

そして、お客さんの雰囲気を共有しあってその日の寄席を作り上げる楽屋もかっこいい。

 

きっとこの感じがお正月の末広亭からの中継でもにじみ出てたんだろう。

ほんとは、末広亭興行は見送るつもりだったのに、アレを見てどうしてもあの空気を味わいたくなってしまったのだ。

 

明日、私はどんなお客になるんだろう。

志らく師匠目当てのミーハーってことにしといて。

さて、5時に起きるためにいろいろ調整始めないと。

 

23時

水川かたまり式安眠法で床につく。今日のネタは義士。明日はなんだろう。

列はどれくらいだろう。何より、25時からは伯山先生が爆笑問題カーボーイに生出演。もし目覚めてしまったら聴こう。

 

2/19

6時

逸る気持ちを抑えながら、電車はゆったり行けるように、武蔵小金井始発に乗るため調整。いつもと違う発車メロディ。新鮮。

昨日のカーボーイを聴きながら、違う世界の住人と乗る電車。

(注:思い出せばこのころは、マスクしてない人も多かったな)

 

7時

末広亭到着。

行列の先頭を見るまもなく、おしりにきてしまった。先頭はパチンコ屋の開店待ちかもしれないのに。

何人いるだろう。200人くらいかな。調べるのも怖いな。

末広亭の横で「人間国宝が台湾で勃起しすぎてフェニックス」のくだりを聴き吹き出す。

 

7時40分

列が動き出した。配布開始かな。

ビルの谷間で寒い。スカートみたいに巻けるダウンケットは神。こういう時はホットレモンティー

 

7時53分

末広亭の前へ移動。ゴミ収集車や搬入の車が動き出すから邪魔なのかな。

私みたいにフラフラしてたら、結果的に芸協に迷惑がかかる。

前の方の人が、私の後ろの方と番号について話してた。並んだ順よね。うんうん。横入りあったようだけど。

 

ちょうどカーボーイでは10のボケの手紙。

神田うのさんこんにちは」「こんにちは」でまた吹き出す。

 

7時56分

10のボケを聴いてる途中で整理券無事いただいた。1時間弱並んでだいたい150番くらい。

絶っっっっっったいなくさないよう深いところにしまう。

みんなホッとしたようで、末広亭の外観を撮る撮る。

 

8時10分

朝食とるためにジョナサン新宿五丁目店にイン。ホッとしたついでにTwitterで状況を調べてみる。早い人は早い。業界の人もならんでる。寄席は平等。

カーボーイの続きも聴く。10のボケの手紙すごい!あと10ネタあれば国宝レベル。

 

9時20分

帰るのもめんどいので、おやつもろもろ買い込み、マスクはないけどコンビニで除菌ウエットティッシュを見つけ、ネカフェにイン。ルミネ公演の前とか、よく来るなここ。

ほんとは布団で寝たいけど、フリードリンクでブランケットもあれば十分でしょう。4時間見る体力をチャージ。

 

11時40分

ひと眠りして起きた。外はランチタイムのサラリーマンだらけか。夜の部乗り切るために遅めランチにしよう。中村屋のチキンカレー食べたいな。あとビックロ行きたい。

 

14時

ごろごろしてたらまた寝てた。

伯山ティービィーがアップされてたので、ドリンクを飲みつつ大画面で。ネカフェ、YouTube見るしかパソコン使わないな。

ろせんの意味を知る。ろせんがおやかる。

 

15時30分

入場券を購入する。寄席感が高まってきた。

近くの、雰囲気がただよさげなだけで椅子やらテーブルやらがバラバラだから高さもずれずれで店員のテンポもずれずれで全然安らげないカフェでめし。ハンバーグはめちゃうまかった。

サクッとめしを済ませるのもいいけど、麺でつるっといくよりこういうときは肉と米をぶちこんでおくのが吉。雰囲気はどうでもいいけど、腹が満足だから大丈夫。

 

(ここで雑多な事項のメモが止まってる。興行の感想はまとめたし、細かい話は若干盛るけど当時を思い出しながら)

 

16時過ぎにまた並んで順番を待つ。番頭さんが列整理。ご苦労さまです…

ここの音声も録音されてなかったんだな。残念。

入場しても、どやどやいい席を選ぶような野暮なことはしないと思ってたけど、アワアワしてるうちに桟敷席に誘導されちゃった。2階の方がよかったか。近いし見やすくはあるけど、みっちみち!空いてる時に座りたい。

足の位置も隣の方と融通しながら。スカートがじゃまになってしまった。リュックをクッションにしてコートを小さく結んで体育座り。

 

一番太鼓、二番太鼓ときて寄席の雰囲気が高まる。後ろの通路には立ち見の方。みんなで頑張りましょう…

 

前座さんの桜子さんが開口一番。高座にあがる。

太閤記 三献茶」

声が聴きやすくで話に入っていきやすいし抑揚もなめらかで素敵…もっと聴きたい~

 

前座さんがおりて、いよいよ興行本編へ。番頭の鷹治さん「時そば

YouTubeで見た通り、空気を探っている感じ。いいお客になろうという一体感も感じる。

と、私寄席バージンなんだけども。

ずっと見てるから、めちゃめちゃホーム感ある。家みたいに笑ってていいんかな。

 

音曲の桂小すみさんは、NHKの公開収録で観てうっとりしちゃったので寄席でもお声が聴けてうれしい!

ホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」を三味線で弾き語ってくれたのだけど、えんだ~♪がとにかく伸びやかで素敵だしでもここ寄席だしなんか不思議な感覚だし、ようやく肩に入ってた力も抜けてやっと正気に戻って安心したとこだったから、涙がぶわあああああ~っと出てきた。やっと私末広亭に来れたんだ。伯山先生のお祝いの席を見届けられてるんだ。

成金メンバーは、昇々さん!「最終面接」

昇々さんの創作聴いてるとなお一層末広亭がディープな空間に。大成金と寄席ではまた雰囲気が違う噺家さん。でも、いつ見ても男前。

 

そして鯉栄先生「次郎長伝 羽黒の勘六」

ちょっとダレた客席をきゅっと引き締めてくれる講談。

侠客ものを鯉栄先生のあのお声で聴くと臨場感たっぷり。

ダレた客席に、張り扇一発。「こっちも人間なんですよ!」は惚れてしまった。

 

遊雀師匠、ナイツ、柳橋師匠と伯山ティービィーの人気者が続き、笑遊師匠「魚根問」

出てきただけでなんだか笑ってしまう。おう、俺が出てきたぞ~という感じが味わい深い。

あとから見たら、音声はなかったけど、楽屋入りのアテレコもそんな雰囲気だったので、さらに笑ってしまった。

 

あっという間にお中入り。

靴を履いて出やすい位置だったので、お中入りでばたばたとお手洗いへ。

いよいよ、伯山先生にお目にかかれる…

 

伯山ティービィーでも分かる通り、末広亭は舞台の前の方にライトがあるので、真打が顔を上げると下から光があたって貫禄が半端ない。あの目で客席を観られると思わずはっと息をのむ。

 

もちろん、お歴々からのお言葉は虚実入り交じるとても豪華なもの。

カットされてるけど、志らく師匠が寄席向きの発言してたり、笑遊師匠はもっとすごかったので伯山先生が思わず動いちゃった(文治師匠は2回めつってたけど、多分3回。他にもあれば放送禁止用語を言う師匠を諌めてたんだと思う笑)

志らく師匠はほんとかっこいい。口上でアクセル全開。そのまま高座に持っていけるのはずるい。

 

たっぷりのマクラから談志師匠の得意ネタ「幇間腹

立川流の他の噺家さんの幇間腹を聴いたことがあったけど、談志イズムなんだなと納得。談志師匠とここでしっかりつながってくるなんて、伯山先生は幸せだろうな。

 

そろそろ、会場も最高潮に。満を持して、松鯉先生「荒木又右衛門 奉書試合」

とはいえ、ぴしっと空気が張り詰めるわけでもなく、あたたかな眼差しで包み込んでくれるし、たっぷりマクラでほぐしてくれて観客もホッとする感じ。

とにかくお声は通るし、長野出身の私としては、隣の群馬県出身の松鯉先生の話し方がなんとなく聞き慣れたものだからすっと講談の世界には入れる。「〇〇ですな」の言い方が大好き。

確か、ここで松鯉先生が言ってたのかな。寄席で講釈師が4人も出るのはすごいって。

これまでだったらそんな香盤だとダレてしまってたりしたのかな。でも、そんなことはまったくないと思う。

絶対、伯山目当てでも他の方の高座をもっと見たくなる。

 

さて、新真打を迎える前におまちかねのボンボンブラザース!

生で見ると、曲芸ってほんとプロの技。ライブ感もあるし、お囃子さんの三味線も雰囲気があがる。

お客さんとの掛け合いも味わい深い。

素人すぎる感想だけど、靴下でアレだけ動くのすごくないすか???

(ナイツもネタはもちろんいつも通り面白いんだけど、靴下だ…って思ってた)

なんだかんだめちゃめちゃ笑ってしまったので、そそくさとお茶を飲み呼吸を整え、伯山先生を待つ。

寒い日だったけど、心も体もぽかぽか。

 

そして、待ってました六代目神田伯山。もちろん目をかっぴらいて見るのはメガネを外す瞬間。性癖。

「今日、熱気すごくないですか?」との第一声。

そうなのか、となんだかうれしくなる。

笑いすぎて浮いてないかな(無限大ホール慣れしすぎてるので)、冷めすぎてないかなとか無駄に気になっていたので、ほっとして講釈に集中できそう。

マクラは愛山先生の話。その後、ラジオや伯山ティービィーでの対談、ネタ中のエピソードとかでこんなに愛山先生の名前聞くと思わなかったな笑

 

寄席でこういう話聞けるの、ただただいい思い出というか、その日のおみやげになる。

普通のライブなら、テレビじゃこのエピソード聞けないから絶対メモっとかなきゃ、って思うけど、どうでもよくなる。帰りにそばでも食って「ああ、いい寄席だった…」と思うだけでいいのかな。

前売りがなく、(普段なら)その場でふらっと入れる良さだからこそ思うことなのかも。

 

九日目は「鼠小僧次郎吉 汐留の蜆売り」

これは、義士伝とともに絶対冬に聴くべき講談。

2019大成金のトリで初めて聴いて、じんわり胸が熱くなり涙したけど、伯山になってまた聴けるとなり身を乗り出す。

イイノホール、そして最後の独演会のよみうりホールどころじゃない近さだから、臨場感が半端ない。寄席ってこういうことなんだ。

 

そして、これまでは講談だけの会だと妙に背筋が伸びてしまうし、とはいえトークがある場合は神田松之丞という人格がだだ漏れだしで、うまく芸と人間が一致してなかった感覚なんだけど、みんなが寄席で空気を壊さず出番をつなぎ、そして披露目興行を成功させるためにトリに花を持たせる姿を見て、神田松之丞が寄席で講談に出会って芸協で前座修行を積んで芸を円熟させて、人格を形成したんだと感じた。

これまで見た高座や落語会がほとんどトークパートがあったり、お楽しみの時間があったりで、寄席演芸になれてないから、どうにか興味を引いてもらわないと退屈になっちゃう気がしてたんだけどそんなの杞憂でしかなかった。

 

これが寄席なんだ。演芸なんだ。

 

お笑いが好きだけど、落語も講談も曲芸も好き。何より笑うこと、感動することが好き。

 

そして伯山が大好き。

 

蜆売りでほろりと涙を流し心をぐっとつかまれながらもほんのりあったかい気持ちで、この日は大団円。

 

これが当たり前だと思っちゃだめなんだけど、おまちかねのカーテンコール笑

明日も、そしてあと30日頑張っての気持ちで、拍手。力いっぱい。

 

そして、ここで私の体力もいっぱいいっぱい。

まだ江戸の世界から帰れないまま、太鼓が鳴り、スタッフの方が座布団を上げ始める。

靴を履くのもおぼつかない。まだ、コートなんて着たくない。新宿に戻りたくない。

でも、この2月の寒さがちょうどよくクールダウンしてくれた。

夏ならどんな感じなのかな。怪談多いから、もわんとした空気で不思議な感覚になるのかな。

 

これはめちゃめちゃ余談だけど、最寄り駅か乗り換えのホームで羽衣あられ買いました。問わず語りも聴きながらね。

 

もっと披露目興行として楽しもうとしてたと思うんだけど、なんだかんだ寄席の空気が好きになってしまった。ここからしばらく自粛中は落語聴いてた(離婚後の死にそうだったときと自粛中助かった)。

 

気持ちだけは夢の中にいるまま、次の日伯山ティービィーアップ楽しみにしてたのに、いつまで経っても更新されず「諸事情」とのアナウンス。

その後の、顛末はみなさん御存知の通り。

 

 

このおかげで、あのときあの楽屋から連続した高座の熱狂的な空気をリアルに感じられたのは、末広亭の客席にいた3、400人だけだ、と思ったらよりスペシャル感があるね。

 

というか、今から伯山ティービィーの30本の披露目興行の動画を見れば、寄席の住人になれます。絶対見てほしい。

 

そして、テレビの伯山を観て、なにかその人となりについて思ってしまう前にとりあえず講談を聞いてほしい。

江戸は令和にも確実に続いてる。

 

と、今日のところは大団円。また今年のこと少しまとめたい。

ありがとうございま~す。

 

 

 

 
 

12/16の殴り書き

M-1準決勝見て思ったことまとめようと思ってたのに。

殴り書きたいことが出てきてしまった。

 

もやもやが止まらない。

「芸人芸人芸人」Vol.2での、放送作家高須光聖氏のかが屋評。

もう寝室の電気を落としてしまったし、今読み直すこともしないけれど。

 

暗転で場面を切り替える演出がテレビ向きでないと。それはわかる。それはわかるけれど、「もっと他のネタがあったのに」 とあえて言うべきだったのか?

 

確か伊集院光氏も空気階段のネタを見て「タクシーのネタをやらなくても」といったことを言っていたような。

素人のわたしからは彼らの意図は全く計り知れないが、苦言なのか?アドバイスなのか?それとも、「あんたらのネタ、見てんで」 というアピールなのか。

 

彼らがそのネタで勝負している以上、何か言いたいならあくまでネタの面白い面白くない、ここがどうだった、あそこはこうすべきなどに終始してほしいと思ってしまう。

決勝の審査員が言うのはギリ許せる。

キングオブコントのルールも関わってくるからこれまたややこしいけれど…

(書いてて気づいたけど、高須氏は準決勝の審査員だったのでは???)

 

まあいい。話を元に戻して、高須氏のかが屋評以外もなんとなく「そうじゃないんだよなぁ」というものばかりで。対談相手の白武ときお氏が「僕はこう思います」というのをはっきり言ってくれていたのは良かったのだけれど、お互いの感覚が並行線を辿るばかりで対談としてピンとこなかったような。

それぞれのインタビュー、特に白武氏の話はもっと聞きたいと思ったし、作家同士でなくもっとコント界隈のひとだったらかが屋についても「いやそうではなく」 と斬り込んでくれたのかも。

 

今年はキングオブコントの次に、M-1ではなくTHE Wの決勝が行われた。

一昨年昨年にあった、副音声の松本高須コンビの企画がなかったのは残念だと思ったが、大会としても番組としても、以前に比べて抜群に面白かった。

 

まだM-1決勝が来ていない段階でも、なんとなくわかる。正直彼らや彼らがもたらす感覚がちょっとしたお荷物になっているんじゃないか。なんとなくだけど。

 

はっきり言ってわたしは松本高須信者である。狂おしいほどに。

だけど、今の彼らはそこはかとなくズレている。

悲しいけれど認めないといけない。

もちろん、ダウンタウンの番組は面白いし、お笑い界のトップであることには変わりないと思う。

でも、下の世代や今のお笑いライブシーンの延長の賞レースやバラエティまでもコントロールすることはできないし、する必要もない。

 

数年前なら、お笑いの賞レースの審査に彼らが関わっていても何の違和感もなかったと思う。

でも、このまま進めていってもし彼らの存在がなかったらと考えたときに、すべてがうまく回りそうな気がするのなら、意外や意外、THE Wがイチヌケしたことになるのかもしれない。

 

それでも、「ダウンタウンのことを一切知らない」という芸人が出てくるまでは、バラエティのトップでいてほしいというわがままも言っておく。

 

11/6の殴り書き

BSフジ「冗談騎士」の空気階段が初めて出た回での、例の放送作家からのアドバイス

「もぐらは、おじさんを演じるには実年齢が若すぎる。おじさん感が足りない」

これが自分の中ではずーっとしっくりきていなくて、何かにつけて考えていたのだけど。


きょう初めて神田松之丞の講談を見て、このことが頭によぎって思うところがあったので書いておきたい。

赤穂義士銘々伝」より「神崎の詫び証文」という演目。

内容や松之丞の講談がどうだったということはとてもじゃないが触れられないけれど、この話に出てくる丑五郎という呑んだくれ男を空気階段鈴木もぐらがコントで演じるおじさんと重ね合わせてしまった。

最初は丑五郎の単に頓珍漢な言動(を演じる松之丞)が面白かったのだが、だんだん舞台上には丑五郎がいるように感じて、丑五郎の一挙一動に釘付けになっていたと思う。

勝手に、ほんのり赤ら顔で歯も何本か抜けていて、間抜け面をした男の姿を作り上げていた。

高座の神田松之丞という人は、そんな男とは全くかけ離れているのに。

初めて聴く講談でこんなにのめり込むとは思わなかった。松之丞を観に来て松之丞でない人に感動させられた気がした。

 

わたしは演じる人と演じる役柄に多少乖離があっていいと思う。結果、その乖離を笑うことになったとしても。

それに、登場人物の滑稽さを笑うのか、滑稽な人物を演じる人を滑稽だと思うのかは自由だし。


でもやっぱり、役を演じる人が一瞬でも役から遠いように見えたからと言ってそれを弱点というのは、違う気がする。

例えば、はっきり「演技力が足りない」というならわかるけど、なんとなく「まだ若いのに、おじさんのコントなんかやって。ほら、シワも書いてるし、肌もよく見たらピチピチだぜ!」って感想が透けて見えたのかもしれない。それじゃなんもできねぇじゃん。


役に入ってる人を観てる以上は、観客もそこからオリるな。


…なんてな。

続・「お笑いのある世界に生まれてきてよかった」〜空気階段とわたしのここ半年(とここ10年)〜

ーーお笑いのある世界に生まれてきてよかった

 

まだ言うか、というくらいに自分の中では何回もこすり続けてしまうフレーズになった。

しかし、ほんとうにキングオブコント以降それを如実に感じる場面が山ほどあるのだ。

 

というか、ここ半年くらい抱いてた感情を、あの敗者コメントで空気階段・水川かたまりがうまくまとめてくれたので、彼の言葉をここぞとばかりに借りまくっているだけなのかもしれない。

 

そんな「お笑いのある世界に生まれた人の作るお笑いの世界」に触れてきた。

2019年10月14日の日曜日。祝日。空気階段単独ライブ「baby」再演。 

 

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再演するという情報を知った6月くらいからずっと楽しみにしてきたライブだった。

5月の初演の頃は正直、まだここまで空気階段にハマっていなかったと思うのだが。

 

私は、彼らのラジオ「空気階段の踊り場」界隈で言われる、いわゆるかたまり号泣新規でもかたまりカレー新規でもない。強いて言うなら、オンバト新規か。オンエアバトルもずっと後に録画を見た気がするが。

 

だからこそ、一気に空気階段の世界にハマるうちに、単独ライブを観るチャンスを逃したこと、そして運良く再演されることを知り、絶対に観にいかなければと心に決めていた。

そこから、チケットが発売されるまでに、アメトーーク!に出演したり、ゴッドタンに出演したりとメディア露出がぐんと増え、ブレイク前夜どころか完全に夜が明けてきて、彼らの活躍を嬉しく思うと同時に不安が押し寄せてきた。

 

ーーチケット取れなかったらどうしよう

 

初演の機会を逃し、着実にスターダムを駆け上がりつつあるこの時期の再演を逃したら泣いても泣ききれない。

ソフト化も、今の彼らの立場と事務所の感じだと正直期待できない。(あと、ネタの方向性からしても)

楽しみと外れたときの恐怖を抱えながら3ヶ月ほどを過ごした。

 

案の定、先行の時点でかなりの応募があったようだが、運良く先行でチケットが取れた。実は自身の体調的な不安もあったのだが、這ってでも行く覚悟は決めていた。

 

そこからさらにライブ当日を迎えるまでに、かたまり闇サヤ問題、キングオブコント決勝進出→最下位、もぐら携帯没収など諸々あったが、無事再演の日が訪れた。

 

会場は、紀伊國屋サザンシアター

千原兄弟の単独ライブに足を運んで以来、10年ぶりに訪れた。芸人の単独ライブに行くのも千原兄弟以来だ。

思えば、お笑いにハマるのもコントをやるコンビを好きになるのも千原兄弟以来かもしれない。どうも、ヤバい匂いがするコントばかり好きになってしまうらしい。

そのときの単独ライブのタイトルは「ラブ♡」、今回の空気階段は「baby」。

かわいらしさがあるあたりも余計ヤバさが際立つな、なんてことを考えながら、グッズのTシャツを買い、席につく。

ラジオクラウドで毎夜聞いていた踊り場のアーカイブでは、女性ファンが少ないと言っていたような。

客席を見渡したところ、男女半々くらいか。少し女性が多いかもしれない。

 

客入れSEは、babyにちなんだ選曲。

スピッツ真心ブラザーズなど胸熱な曲が流れる中、ひときわグッサリ刺さったのがJUDY AND MARYの「ラブリーベイベー」だった。

 

個人的な話だが、大学時代軽音サークルでドラムを叩いていた。

夏の合宿で、ジュディマリ好きなギターボーカルの友人と組んでコピーしたのが「ラブリーベイベー」と「BLUE TEARS」。青臭い!その時のバンド名は確か「しけもく」だったような。ちょっともぐらっぽい。

 

そんなことを考えていたら、普段空気階段が出囃子として流しているというじゃがたらの「タンゴ」が聞こえてくる。

「タンゴ」 も、18かそこらからずっと聴いている大槻ケンヂがソロアルバムでカバーしていて、最近は弾き語りでも披露しているので、この曲もサブカル乙女メンタルに引き戻されている身にはグサグサ刺さるのだ。

 

江戸アケミのボーカルで緊張感が高まったところで、明転。

ライブの始まりは出産をテーマにしたオープニングコントから。

新たな生命が誕生しある種の緊張と緩和が起こり、「オブラディオブラダ」に乗せてはいはいをする赤ちゃん目線のオープニングムービーが流れる。

 

ここからどんな世界に誘ってくれるのかと、期待が高まっていく。

 

井上陽水「少年時代」が流れ、本編1つ目のコントは駄菓子屋をテーマにした「みどり屋」。

 ありがちな「おつりは●●万円!」という小ボケも繰り出す駄菓子屋のおっちゃんと、少年時代よくそこに通っていた元西武のピッチャー、という設定からは到底想像できないアンダーグラウンドな世界が広がるコント。

観客がほんのり抱く違和感も、しっかり笑わせて解消してくれる。

突拍子もない展開もオチのブラックさも、「baby」という空間にいるせいか、なぜか中和されてしまう。

 

暗転後、ブリッジ的なSEとしてYMOが流れる。テクノって、こういうポイントにピッタリなんだという妙な驚きがあった。

 

そして、セット転換前になぜか明転。「エンターティナー」が流れる中そこに現れるのは、もぐらのお面をかぶった黒子たち。

幕間映像もいいけど、転換自体もこうやって楽しめるのは、コントライブとしてはめちゃめちゃ美味しい。次のネタへの期待も高まる。

個人的には、客電も完全に落ちててどれくらい転換にかかるかわからない中暗闇を待つのが少ししんどいので助かる。

 

それは置いといても、一つの公演として際立ってるなと感じた演出だった。

話は変わるが、単独ライブの3日前にタイタンシネマライブを初めて観に行った。

ライブビューイングでお笑いライブというのも初めてだったので、その仕掛けに気づくのに少し時間がかかってしまったのだが、タイタンシネマライブにおいては毎回ネタ間で次のコンビを象徴するような「エピグラフ」が映し出されるのだという。

これがとにかくかっこいい。文学はあまり詳しくないのでかっこいいとしか言えないのが歯がゆいのだが、特に松村邦洋登場前のエピグラフカフカの『変身』だったのが印象的だった。

タイタンシネマライブのエピグラフの演出は実際に観て味わってほしいが、黒子もぐらの演出も引けを取らないくらい光っていたと思う。

 

話は「baby」に戻り、次の転換後に流れてきたのは少年ナイフの「Top of the world」だった。カーペンターズのカバーと書いてもピンとこないかもしれないが、「学校へ行こう」の未成年の主張で流れていた曲だ。そう、アレ。

 

これも、大学時代に3ピースのガールズパンクバンドでコピーした。

ただ単に私がゴリゴリのミーハーのテレビっ子なので推した曲だったのだが、最高に青臭くて学祭でやるにはぴったりだった。

 2019年にお笑いライブでこの曲がかかると思わなかったので、胸が熱くなる。

次のコントは「特急うみかぜ19:55東京行」。 

青年かたまり、駅員もぐらの役どころで駅の券売機前で繰り広げられるコントなのだが、なぜこの二人の人生がここで交わるんだろうと思わせる設定。

それぞれがコントの主人公になれるはずなのに、ひょんなことから邂逅して生まれる化学反応、という感じ。

最終的に、私はリズムネタと解釈した。いちばんゲラゲラ笑ってしまったかもしれない。

 

次のSEはブルーハーツの「月の爆撃機」。これも学生時代よく聴いていた。

よく夜中にチャリで爆走していたのだが、その時にこれを流すとテンションが上がるのだ。また青臭さがむんむん。

そんな中で始まったのが「14歳」。青臭い!

もぐら演じる中学教師の元に、かたまり演じる男子生徒がテスト採点について抗議しにやってくる。

設定としては、ありがちなのかもしれない。実はいちばん正攻法なコントに感じた。

ただ、当たり前のように中身はぶっ飛んでいる。ヤバい。むしろ、ぶっ飛んでるから安心する。ヤバい。ラジオで聞いているから慣れているが下ネタのジャッジがゆるゆるになりすぎてる。ヤバい。もし今後小学生くらいのファンが増えたら恐ろしい。ヤバい。

その割に、オチはまたbabyらしいのだ。

 

どうしたらこんなコント思いつくんだよ、と感心しつつも、10分しないくらいのコントで主人公のこれまでの人生が手に取るようにわかるのが不思議だし、ただただすごい。

かが屋のように行間で語るというほど語ってもいないし、かと言ってボケや展開を詰め込むわけでもない。

だからこそ、踊り場で悩みとして語っていた「4分ネタをきっちり4分だと思ってやったが、12分だった」ということも起こるのではないか。

 

次は植木等の「スーダラ節」が流れ、「みえーる君β・改」 という、おじさんメインのコントへ。

もぐら演じる世間のレールから外れているおじさんと、かたまり演じる配達員が登場人物。空気階段お家芸というか、テレビを見ている人なら一番馴染みが深そうなネタだ。

おじさんは、生きていても楽しくないので、「みえーる君」を使って、走馬灯を見て日常生活で味わえない刺激を得るのだ。走馬灯を見るために、顔面スレスレの位置で鉄球を回し続けるのは、あり得ない設定ではある。あり得ないんだけど、刺激求めすぎると感覚バグるよね、わかるわかる、となぜかおじさんに寄り添いたくなるのも、babyという空間ならではだと思った。そして、また二人の人生が交わる。 

 

次は「関健~夏祭り大乱舞編~」。別のライブで、ディズニーランド編を見たことがあった。

もぐら演じるソルジャー・関健は、かたまり演じる少年が「どこから来たの?」と聞いても「わからない」という。とにかく「わからない」のだ。しかし、何かと戦い続けている。きっと、babyの世界が終わっても、関健は戦い続けるのだろう。

「ハッピー」は、かたまり演じるサラリーマンに飼われているインコのお話。 …ではあるのだが、そうではない。「渡辺篤史の建もの探訪」をテーマにしたコントだ。バグっている。見たはずなのに、こうやって書いていて意味がまったくわからない。

(あと、これを見てから「建もの探訪」の「もの」の部分がなんか怖い。)

ただ、「ハッピー」に出てくる渡辺篤史は、走馬灯を欲し続けるおじさんと同じで、素敵な住まいを見すぎて感覚が麻痺しているために、刺激を求めているのだと思った。

 

そして、ラストのコント「baby」の前にはビートルズの「Here, There and Everywhere

」が流れた。

「baby」は海でタバコを吸っている青年かたまりが、貝殻を拾うおじさんもぐらに出会うところから話が始まる。

 

ーーこの辺りに落ちてる貝殻には、近くの声を録音するものがある

 

やはり、なんだそれという感じなのだが、ストーリーは意外な展開を見せる。

おじさんは、もともと西武のピッチャーだったのだという。

さらに、配達員が見ていた走馬灯とまったく同じ会話が貝殻から聞こえてくるのだ。

こうして一つひとつのコントがbabyのストーリーとして紡がれてゆく。

 

最初の”出産”のコントは、タイトルこそ出なかったがこれもbabyなのだろう。そして、オープニングムービーが赤ちゃん目線の映像だったことを考えると…きっとそれを見ている観客こそがbaby…なんてことを考えてる辺りから、もう胸がいっぱいになってしまった。そして、もちろんラストのオチも先に登場したものが。やっぱりな、と思わせてくれるラストだった。暗転後、エンドロールが流れ「エンジェルベイビー」を聞きながら、そんな安堵感とすごいものを見たという衝撃とこれまで張り詰めていた感情とがダバダバ溢れ、タオルで顔面を押さえながら泣いてしまった。

 

もちろん、単独ライブは大がかりだし少なからずテーマに沿っているとは思っていたが、正直ここまで壮大だと思っていなかった自分が恥ずかしい。

実は、私はミステリーや倒叙ものはまあまあ好きだが、正直最近よく聞く「伏線回収が秀逸」みたいなそれ自体が引きになってるストーリーは少し抵抗がある。確かにはラストのコントのキーになる出来事やフレーズが散りばめられていたが、自分勝手なことを言えば「baby」は、伏線とか回収とか安易な言葉を使いたくない。

(KOCのかが屋のカレンダーの一件からどうにも発散されない思いが募ってなかなか解消されないというのもある。笑いと仕掛け…難しい)

だから、もし細かい部分までどうつながっていたかが知りたい方がいたら、他の方の考察か何かを読んでほしい。ここまで読ませて投げやりで申し訳がなさすぎる…

 

しかし、こう言っている私自身babyの世界すべてを楽しめたかどうかわからない。

Twitterで観に行った方のツイートを見ていて、最初は「厚生省」だったのに後のコントでは「厚生労働省」になっていたというのを知って、アンテナを張り巡らせていなかった自分に愕然とした。

とはいえ、こんなことをいちいち言っていたら劇場に観に行けなくなってしまう。自分で好きなように見て好きなように楽しめたし強く心にも刻まれた公演になったので、それでいい。

観た人にも、観てない人にも空気階段の良さが少しでも伝わったらうれしい。

そして、エンドロールで流れた銀杏BOYZの「エンジェルベイビー」をぜひ聴いて空気階段というコンビ、もぐらとかたまりという二人の芸人に想いを馳せてほしい。

(ついでに、まだの人は踊り場のもぐら告白、かたまり号泣プロポーズ、駆け抜けてもぐら回をラジオクラウドで是非聴いてほしい。必ず、それぞれ「幸せな結末」「愛をこめて花束を」「駆け抜けて青春」をBGMとして用意した上で)

 

先の投稿で、又吉直樹の新作を読んで例の「お笑いのある世界に〜」のフレーズを思い出したと書いたが、空気階段が作り上げるコントを余すところなく楽しんだ今は、『人間』の広告でも打ち出されている「僕たちは人間をやるのが下手だ」 という一文も併せて思い浮かべている。

なんなら、又吉直樹が敬愛する太宰治の「人間失格」までも読みたくなってしまう。

 

そうはいっても。小さい頃から人並に文学には触れてきたつもりだがそんなに高尚な人間ではないので、文学がなければ…と思ったことはない。

むしろ、音楽とお笑いがなければ今の自分はないし、もしかしたらこの世にしがみつく理由なんてないかもしれない。東京へ来てからの10年と少し、確実に音楽とお笑いに支えられていた。

しかも、廃人同然の2年ほどを過ごして、音楽やお笑いへの情熱も失ってしまっていたところに、この衝撃を受けた。支えてくれていた曲たちとまた出会えた。

ありきたりだし、こっ恥ずかしくもあるけど、babyを見てなんだかちょっとくらいは生まれ変われたんじゃないかと思っている。

コントだけでもきっと感動したはず。でも、自分とほぼ同年代の彼らが青春時代に聴いていた音楽と併せてこの世界を楽しめたことを思うだけで、胸が熱くなる。

 

前回の単独のエンディングでは「恋は永遠」が流れたと聞く。

こんなのが毎回続けば、みんな命がけでチケット取るのもわかる。今後は規模も大きくなって、公演回数も増えるだろう。それでも、私は、またきっと胃をキリキリさせながらチケットを取るのだろう。

 

そういえば、「踊り場」の放送で、月に4,5本しかコントを作っていないことを気にかけているような発言があったが、この単独ライブを見てそんな事情も納得できた。

終演後に一人で呑みながら恥ずかしげもなくこんなツイートをしていたが、本当にそのとおりだと思っている。

そして、空気階段にとってのコントは、この「baby」という作品と同じで、一つの人生が他の人生と交わり、そこから新たな生命をつくり出していく、自然の営みのようなものだと感じた。

 お笑いのある世界に生まれてきてよかった。いや、ただただ生まれてきてよかった。

せっかく生まれてきたことだし、これからも二人の人生をラジオとコントで追いかけていきたい。峯田和伸も言ってた、「生き延びたら、また会えますからね」って。

 

最後に、長くなってしまったがこれを読んだ人の人生も、何らかの形で空気階段と交わっているであろうことを願う。

「お笑いのある世界に生まれてきてよかった」〜又吉直樹『人間』を読んで〜

--お笑いがある世界に生まれてきてよかった。

 

キングオブコント決勝の生放送中に生まれたこのフレーズは、2019年のお笑い界に大きな衝撃を残すものになった。


詳細はご存知の方も多いはずなので今回は割愛。


大げさな話だが、9/21以降私自身それを顕著に感じる場面が多くなっている。


こんなこと言える立場ではないので、失礼だとも取られてしまいそうだが、ふとこんな考えが芽生えたので拙いなりに文章で残しておきたい。

 


10/10に、ピース・又吉直樹の小説『人間』が上梓される。


Twitterを見ていたら、最近私がずっと追い続けている講談師・神田松之丞と又吉直樹が対談するとのことで、この小説の存在を知った。


小説の公式Twitterアカウントを見てみると、プルーフ版プレゼント企画というものが行われていたので、軽い気持ちで応募する。

これが、なんと当選したのだ。


すぐに、編集部からプルーフ版が送られてきた。普段書店で手に取る単行本とは表紙から材質から違っていて、なんだか誇らしげな気分になった。


グウタラ生活の合間を縫い、活字と向き合う時間を設けて、さも高尚なことをしているかのような顔でカフェへ足を運び、カバンから分厚い本を取り出し、長編を読んだ。

少々時間はかかったものの、読み切った。

このタイミングで読めたことに、そこはかとない感慨深さを憶えた。


内容は、私の拙い言葉では伝えきれないので、是非読んでもらいたい。


すぐ小説の世界に惹かれていったものの、どこか醒めた目で見ている自分もいた。

自分自身とほんのり似たようなことを考えている人の言葉に触れて、のめり込んでいくほどに共感は深まれども、紡がれる言葉があまりに刺さりすぎて実際には距離を感じる場面も多かったのだ。


いくら読んでも、本当の意味で理解はできないのではないかと思ったり。


でも、ピース又吉のことを考えたときにふとこんなことを思うようになった。


--これを書いたのは、あの、"妖怪"のコントを作った人なんだ。

 


妖怪のコントとは、キングオブコント2010決勝において、ピースが披露したネタである。

これに関しても、詳細は省くので知らない人はなんやかやしてほしい。


私はこのコントがとにかく好きなのである。セリフや細かいディティールを思い出してはクスッとして、同時に心がキュッとなる。


特に好きなのは、男爵が妖怪のためにビニール袋を取り出すところだ。わかってくれる人がきっといるはず。


こんなふうに書いておいて恥ずかしいのだが、処女作の『火花』を読むまでは、私とピースというコンビや又吉直樹という芸人との接点はそれくらいしかなかった。

だから、単に一つのネタだけ気に入っていたというだけなのである。


それだけのことなのだが、本を読むときに"妖怪"のネタのことを考えるだけグッと距離が縮まった。これも、"気がする"程度のことだが。

又吉直樹という人を芸人としてだけでなく、また作家としてだけでもなく、今の形で笑いと言葉に触れられて本当に良かったなぁとしみじみ思う。


『人間』は、正直読むのが辛い部分もあった。"妖怪"とは真逆といってもいい。

ただ、実際に体験していなくても想いを馳せるだけで胸がギュッとなる感覚は、根底では似ている。

300ページ以上の小説と5分のコント。表現方法とその中で感じることは違うけれど、出口は同じかもしれない。

 

『人間』の言葉と又吉直樹という人間を結びつけてくれるのは、私にとっては"妖怪"のネタだった。

そこになんら関連性がなくても、その世界にいられるだけでいい、なんて大仰なことも思ったりする。


どちらにも出会えてよかったなぁ、なんてことをほんのり考えていた時、またふとこの言葉が頭をよぎる。

 


--お笑いのある世界に生まれてきてよかった。

 


もちろん、その言葉を発した空気階段・水川かたまりにも感謝している。


空気階段についてはまた、どこかで書き留めたい。