続・「お笑いのある世界に生まれてきてよかった」〜空気階段とわたしのここ半年(とここ10年)〜

ーーお笑いのある世界に生まれてきてよかった

 

まだ言うか、というくらいに自分の中では何回もこすり続けてしまうフレーズになった。

しかし、ほんとうにキングオブコント以降それを如実に感じる場面が山ほどあるのだ。

 

というか、ここ半年くらい抱いてた感情を、あの敗者コメントで空気階段・水川かたまりがうまくまとめてくれたので、彼の言葉をここぞとばかりに借りまくっているだけなのかもしれない。

 

そんな「お笑いのある世界に生まれた人の作るお笑いの世界」に触れてきた。

2019年10月14日の日曜日。祝日。空気階段単独ライブ「baby」再演。 

 

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再演するという情報を知った6月くらいからずっと楽しみにしてきたライブだった。

5月の初演の頃は正直、まだここまで空気階段にハマっていなかったと思うのだが。

 

私は、彼らのラジオ「空気階段の踊り場」界隈で言われる、いわゆるかたまり号泣新規でもかたまりカレー新規でもない。強いて言うなら、オンバト新規か。オンエアバトルもずっと後に録画を見た気がするが。

 

だからこそ、一気に空気階段の世界にハマるうちに、単独ライブを観るチャンスを逃したこと、そして運良く再演されることを知り、絶対に観にいかなければと心に決めていた。

そこから、チケットが発売されるまでに、アメトーーク!に出演したり、ゴッドタンに出演したりとメディア露出がぐんと増え、ブレイク前夜どころか完全に夜が明けてきて、彼らの活躍を嬉しく思うと同時に不安が押し寄せてきた。

 

ーーチケット取れなかったらどうしよう

 

初演の機会を逃し、着実にスターダムを駆け上がりつつあるこの時期の再演を逃したら泣いても泣ききれない。

ソフト化も、今の彼らの立場と事務所の感じだと正直期待できない。(あと、ネタの方向性からしても)

楽しみと外れたときの恐怖を抱えながら3ヶ月ほどを過ごした。

 

案の定、先行の時点でかなりの応募があったようだが、運良く先行でチケットが取れた。実は自身の体調的な不安もあったのだが、這ってでも行く覚悟は決めていた。

 

そこからさらにライブ当日を迎えるまでに、かたまり闇サヤ問題、キングオブコント決勝進出→最下位、もぐら携帯没収など諸々あったが、無事再演の日が訪れた。

 

会場は、紀伊國屋サザンシアター

千原兄弟の単独ライブに足を運んで以来、10年ぶりに訪れた。芸人の単独ライブに行くのも千原兄弟以来だ。

思えば、お笑いにハマるのもコントをやるコンビを好きになるのも千原兄弟以来かもしれない。どうも、ヤバい匂いがするコントばかり好きになってしまうらしい。

そのときの単独ライブのタイトルは「ラブ♡」、今回の空気階段は「baby」。

かわいらしさがあるあたりも余計ヤバさが際立つな、なんてことを考えながら、グッズのTシャツを買い、席につく。

ラジオクラウドで毎夜聞いていた踊り場のアーカイブでは、女性ファンが少ないと言っていたような。

客席を見渡したところ、男女半々くらいか。少し女性が多いかもしれない。

 

客入れSEは、babyにちなんだ選曲。

スピッツ真心ブラザーズなど胸熱な曲が流れる中、ひときわグッサリ刺さったのがJUDY AND MARYの「ラブリーベイベー」だった。

 

個人的な話だが、大学時代軽音サークルでドラムを叩いていた。

夏の合宿で、ジュディマリ好きなギターボーカルの友人と組んでコピーしたのが「ラブリーベイベー」と「BLUE TEARS」。青臭い!その時のバンド名は確か「しけもく」だったような。ちょっともぐらっぽい。

 

そんなことを考えていたら、普段空気階段が出囃子として流しているというじゃがたらの「タンゴ」が聞こえてくる。

「タンゴ」 も、18かそこらからずっと聴いている大槻ケンヂがソロアルバムでカバーしていて、最近は弾き語りでも披露しているので、この曲もサブカル乙女メンタルに引き戻されている身にはグサグサ刺さるのだ。

 

江戸アケミのボーカルで緊張感が高まったところで、明転。

ライブの始まりは出産をテーマにしたオープニングコントから。

新たな生命が誕生しある種の緊張と緩和が起こり、「オブラディオブラダ」に乗せてはいはいをする赤ちゃん目線のオープニングムービーが流れる。

 

ここからどんな世界に誘ってくれるのかと、期待が高まっていく。

 

井上陽水「少年時代」が流れ、本編1つ目のコントは駄菓子屋をテーマにした「みどり屋」。

 ありがちな「おつりは●●万円!」という小ボケも繰り出す駄菓子屋のおっちゃんと、少年時代よくそこに通っていた元西武のピッチャー、という設定からは到底想像できないアンダーグラウンドな世界が広がるコント。

観客がほんのり抱く違和感も、しっかり笑わせて解消してくれる。

突拍子もない展開もオチのブラックさも、「baby」という空間にいるせいか、なぜか中和されてしまう。

 

暗転後、ブリッジ的なSEとしてYMOが流れる。テクノって、こういうポイントにピッタリなんだという妙な驚きがあった。

 

そして、セット転換前になぜか明転。「エンターティナー」が流れる中そこに現れるのは、もぐらのお面をかぶった黒子たち。

幕間映像もいいけど、転換自体もこうやって楽しめるのは、コントライブとしてはめちゃめちゃ美味しい。次のネタへの期待も高まる。

個人的には、客電も完全に落ちててどれくらい転換にかかるかわからない中暗闇を待つのが少ししんどいので助かる。

 

それは置いといても、一つの公演として際立ってるなと感じた演出だった。

話は変わるが、単独ライブの3日前にタイタンシネマライブを初めて観に行った。

ライブビューイングでお笑いライブというのも初めてだったので、その仕掛けに気づくのに少し時間がかかってしまったのだが、タイタンシネマライブにおいては毎回ネタ間で次のコンビを象徴するような「エピグラフ」が映し出されるのだという。

これがとにかくかっこいい。文学はあまり詳しくないのでかっこいいとしか言えないのが歯がゆいのだが、特に松村邦洋登場前のエピグラフカフカの『変身』だったのが印象的だった。

タイタンシネマライブのエピグラフの演出は実際に観て味わってほしいが、黒子もぐらの演出も引けを取らないくらい光っていたと思う。

 

話は「baby」に戻り、次の転換後に流れてきたのは少年ナイフの「Top of the world」だった。カーペンターズのカバーと書いてもピンとこないかもしれないが、「学校へ行こう」の未成年の主張で流れていた曲だ。そう、アレ。

 

これも、大学時代に3ピースのガールズパンクバンドでコピーした。

ただ単に私がゴリゴリのミーハーのテレビっ子なので推した曲だったのだが、最高に青臭くて学祭でやるにはぴったりだった。

 2019年にお笑いライブでこの曲がかかると思わなかったので、胸が熱くなる。

次のコントは「特急うみかぜ19:55東京行」。 

青年かたまり、駅員もぐらの役どころで駅の券売機前で繰り広げられるコントなのだが、なぜこの二人の人生がここで交わるんだろうと思わせる設定。

それぞれがコントの主人公になれるはずなのに、ひょんなことから邂逅して生まれる化学反応、という感じ。

最終的に、私はリズムネタと解釈した。いちばんゲラゲラ笑ってしまったかもしれない。

 

次のSEはブルーハーツの「月の爆撃機」。これも学生時代よく聴いていた。

よく夜中にチャリで爆走していたのだが、その時にこれを流すとテンションが上がるのだ。また青臭さがむんむん。

そんな中で始まったのが「14歳」。青臭い!

もぐら演じる中学教師の元に、かたまり演じる男子生徒がテスト採点について抗議しにやってくる。

設定としては、ありがちなのかもしれない。実はいちばん正攻法なコントに感じた。

ただ、当たり前のように中身はぶっ飛んでいる。ヤバい。むしろ、ぶっ飛んでるから安心する。ヤバい。ラジオで聞いているから慣れているが下ネタのジャッジがゆるゆるになりすぎてる。ヤバい。もし今後小学生くらいのファンが増えたら恐ろしい。ヤバい。

その割に、オチはまたbabyらしいのだ。

 

どうしたらこんなコント思いつくんだよ、と感心しつつも、10分しないくらいのコントで主人公のこれまでの人生が手に取るようにわかるのが不思議だし、ただただすごい。

かが屋のように行間で語るというほど語ってもいないし、かと言ってボケや展開を詰め込むわけでもない。

だからこそ、踊り場で悩みとして語っていた「4分ネタをきっちり4分だと思ってやったが、12分だった」ということも起こるのではないか。

 

次は植木等の「スーダラ節」が流れ、「みえーる君β・改」 という、おじさんメインのコントへ。

もぐら演じる世間のレールから外れているおじさんと、かたまり演じる配達員が登場人物。空気階段お家芸というか、テレビを見ている人なら一番馴染みが深そうなネタだ。

おじさんは、生きていても楽しくないので、「みえーる君」を使って、走馬灯を見て日常生活で味わえない刺激を得るのだ。走馬灯を見るために、顔面スレスレの位置で鉄球を回し続けるのは、あり得ない設定ではある。あり得ないんだけど、刺激求めすぎると感覚バグるよね、わかるわかる、となぜかおじさんに寄り添いたくなるのも、babyという空間ならではだと思った。そして、また二人の人生が交わる。 

 

次は「関健~夏祭り大乱舞編~」。別のライブで、ディズニーランド編を見たことがあった。

もぐら演じるソルジャー・関健は、かたまり演じる少年が「どこから来たの?」と聞いても「わからない」という。とにかく「わからない」のだ。しかし、何かと戦い続けている。きっと、babyの世界が終わっても、関健は戦い続けるのだろう。

「ハッピー」は、かたまり演じるサラリーマンに飼われているインコのお話。 …ではあるのだが、そうではない。「渡辺篤史の建もの探訪」をテーマにしたコントだ。バグっている。見たはずなのに、こうやって書いていて意味がまったくわからない。

(あと、これを見てから「建もの探訪」の「もの」の部分がなんか怖い。)

ただ、「ハッピー」に出てくる渡辺篤史は、走馬灯を欲し続けるおじさんと同じで、素敵な住まいを見すぎて感覚が麻痺しているために、刺激を求めているのだと思った。

 

そして、ラストのコント「baby」の前にはビートルズの「Here, There and Everywhere

」が流れた。

「baby」は海でタバコを吸っている青年かたまりが、貝殻を拾うおじさんもぐらに出会うところから話が始まる。

 

ーーこの辺りに落ちてる貝殻には、近くの声を録音するものがある

 

やはり、なんだそれという感じなのだが、ストーリーは意外な展開を見せる。

おじさんは、もともと西武のピッチャーだったのだという。

さらに、配達員が見ていた走馬灯とまったく同じ会話が貝殻から聞こえてくるのだ。

こうして一つひとつのコントがbabyのストーリーとして紡がれてゆく。

 

最初の”出産”のコントは、タイトルこそ出なかったがこれもbabyなのだろう。そして、オープニングムービーが赤ちゃん目線の映像だったことを考えると…きっとそれを見ている観客こそがbaby…なんてことを考えてる辺りから、もう胸がいっぱいになってしまった。そして、もちろんラストのオチも先に登場したものが。やっぱりな、と思わせてくれるラストだった。暗転後、エンドロールが流れ「エンジェルベイビー」を聞きながら、そんな安堵感とすごいものを見たという衝撃とこれまで張り詰めていた感情とがダバダバ溢れ、タオルで顔面を押さえながら泣いてしまった。

 

もちろん、単独ライブは大がかりだし少なからずテーマに沿っているとは思っていたが、正直ここまで壮大だと思っていなかった自分が恥ずかしい。

実は、私はミステリーや倒叙ものはまあまあ好きだが、正直最近よく聞く「伏線回収が秀逸」みたいなそれ自体が引きになってるストーリーは少し抵抗がある。確かにはラストのコントのキーになる出来事やフレーズが散りばめられていたが、自分勝手なことを言えば「baby」は、伏線とか回収とか安易な言葉を使いたくない。

(KOCのかが屋のカレンダーの一件からどうにも発散されない思いが募ってなかなか解消されないというのもある。笑いと仕掛け…難しい)

だから、もし細かい部分までどうつながっていたかが知りたい方がいたら、他の方の考察か何かを読んでほしい。ここまで読ませて投げやりで申し訳がなさすぎる…

 

しかし、こう言っている私自身babyの世界すべてを楽しめたかどうかわからない。

Twitterで観に行った方のツイートを見ていて、最初は「厚生省」だったのに後のコントでは「厚生労働省」になっていたというのを知って、アンテナを張り巡らせていなかった自分に愕然とした。

とはいえ、こんなことをいちいち言っていたら劇場に観に行けなくなってしまう。自分で好きなように見て好きなように楽しめたし強く心にも刻まれた公演になったので、それでいい。

観た人にも、観てない人にも空気階段の良さが少しでも伝わったらうれしい。

そして、エンドロールで流れた銀杏BOYZの「エンジェルベイビー」をぜひ聴いて空気階段というコンビ、もぐらとかたまりという二人の芸人に想いを馳せてほしい。

(ついでに、まだの人は踊り場のもぐら告白、かたまり号泣プロポーズ、駆け抜けてもぐら回をラジオクラウドで是非聴いてほしい。必ず、それぞれ「幸せな結末」「愛をこめて花束を」「駆け抜けて青春」をBGMとして用意した上で)

 

先の投稿で、又吉直樹の新作を読んで例の「お笑いのある世界に〜」のフレーズを思い出したと書いたが、空気階段が作り上げるコントを余すところなく楽しんだ今は、『人間』の広告でも打ち出されている「僕たちは人間をやるのが下手だ」 という一文も併せて思い浮かべている。

なんなら、又吉直樹が敬愛する太宰治の「人間失格」までも読みたくなってしまう。

 

そうはいっても。小さい頃から人並に文学には触れてきたつもりだがそんなに高尚な人間ではないので、文学がなければ…と思ったことはない。

むしろ、音楽とお笑いがなければ今の自分はないし、もしかしたらこの世にしがみつく理由なんてないかもしれない。東京へ来てからの10年と少し、確実に音楽とお笑いに支えられていた。

しかも、廃人同然の2年ほどを過ごして、音楽やお笑いへの情熱も失ってしまっていたところに、この衝撃を受けた。支えてくれていた曲たちとまた出会えた。

ありきたりだし、こっ恥ずかしくもあるけど、babyを見てなんだかちょっとくらいは生まれ変われたんじゃないかと思っている。

コントだけでもきっと感動したはず。でも、自分とほぼ同年代の彼らが青春時代に聴いていた音楽と併せてこの世界を楽しめたことを思うだけで、胸が熱くなる。

 

前回の単独のエンディングでは「恋は永遠」が流れたと聞く。

こんなのが毎回続けば、みんな命がけでチケット取るのもわかる。今後は規模も大きくなって、公演回数も増えるだろう。それでも、私は、またきっと胃をキリキリさせながらチケットを取るのだろう。

 

そういえば、「踊り場」の放送で、月に4,5本しかコントを作っていないことを気にかけているような発言があったが、この単独ライブを見てそんな事情も納得できた。

終演後に一人で呑みながら恥ずかしげもなくこんなツイートをしていたが、本当にそのとおりだと思っている。

そして、空気階段にとってのコントは、この「baby」という作品と同じで、一つの人生が他の人生と交わり、そこから新たな生命をつくり出していく、自然の営みのようなものだと感じた。

 お笑いのある世界に生まれてきてよかった。いや、ただただ生まれてきてよかった。

せっかく生まれてきたことだし、これからも二人の人生をラジオとコントで追いかけていきたい。峯田和伸も言ってた、「生き延びたら、また会えますからね」って。

 

最後に、長くなってしまったがこれを読んだ人の人生も、何らかの形で空気階段と交わっているであろうことを願う。